阿部寛が主演した映画「テルマエ・ロマエ」は、日本だけでなくイタリアをはじめとする海外でも大きな話題に。まさかの「顔の濃さ」が功を奏し、ローマ人そのものに見えたという声も多数。今回は、撮影の裏話や海外ファンの反応、そして彼の顔の“濃さ”が作品にもたらした影響をたっぷりご紹介します。
阿部寛のプロフィール
出典元:https://jmagazine.myjcom.jp/category/movie/post000276/
項目 | 内容 |
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名前 | 阿部 寛(あべ ひろし) |
生年月日 | 1964年6月22日 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
学歴 | 中央大学理工学部電気工学科 卒業 |
身長 | 189cm |
デビュー | 1987年 映画『はいからさんが通る』 |
主な経歴 | 『TRICK』シリーズ / 『結婚できない男』 / 『新参者』 / 『下町ロケット』 / 『テルマエ・ロマエ』など |
特徴 | モデル出身で端正かつ濃い顔立ち。古武術の稽古歴15年以上。舞台経験も豊富で演技に定評あり |
モデルとして一世を風靡し、俳優に転向してからはコメディ、シリアス、ヒューマンドラマまで幅広い役柄で評価を得てきた阿部寛。長身と濃い顔立ち、深みのある演技力で“唯一無二の存在”として、国内外のファンに愛されています。
テルマエ・ロマエ撮影時の裏話とは?
まさかのオファーに戸惑い?阿部寛の本音
阿部寛本人も「外国の方がやんなきゃダメじゃないの?」と最初は戸惑ったと語り、役決めでは「ブルーコンタクトやカツラを用意してもダメで、全部取ったら『それでいきましょう!』」という監督の決定打があったそうです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/da54c2a5b9287bb1a3cd07a290f174d7cb0b6d53
このエピソードは、そもそも日本人が古代ローマ人を演じるという前提に対する疑問やギャップを象徴しており、阿部自身のユーモアと照れがにじみ出ています。実際にはオファーを受けた段階で「絶対に合っていない」と思ったものの、制作側の熱意と提案に引っ張られ、最終的には自分の魅力を最大限に活かす方向へと舵を切ったのです。
また、このとき阿部寛は「原作が好きだったので光栄でしたが、不安もあった」と語っており、役者としてのプレッシャーも相当なものだったことが伺えます。しかしそれを乗り越えての主演作は、結果的に日本国内外で大ヒットし、続編の『テルマエ・ロマエII』へとつながっていきます。
ナポリの新聞に阿部寛の顔が掲載!?
出典元:https://grapee.jp/755422
「ラ・レプッブリカ」によると、「古代ローマは多民族都市だった」という記事に、なぜか阿部寛のテルマエ姿の写真が“古代ローマ人のイメージ”として使われ話題に。しかも新聞編集部は写真の出典や本人の国籍すら知らなかったというオチ付き。
引用元:http://blog.livedoor.jp/thx_2005/archives/52191112.html
この一件はネットでも「無断使用では?」と物議を醸しましたが、編集部は「古代ローマを最も表現している写真だった」とコメント。本人も「まさかイタリアの大手新聞に載るとは」と笑いながら驚きを語っています。
そしてこの記事はSNS上でも話題を呼び、「イタリアの考える古代ローマ人が阿部寛」という事実が、ネットユーザーたちに強烈な印象を与えたようです。日本のファンの間でも「逆に誇らしい」「世界的ローマ人認定」など、冗談交じりのコメントが多く投稿されました。
ラテン語の教科書にも掲載された阿部寛!?
さらに、オランダの中学校で使用されているラテン語の教科書『SPQR』にもしれっと掲載されていたとの目撃情報も。まさに世界で“古代ローマ人”として通用してしまった瞬間。
この話題は日本のSNSでもバズり、「阿部寛、世界に認知されすぎ」「阿部ちゃん、いつの間に世界史に載ったの?」などのコメントが続出。日本人俳優が教科書に登場するのは異例中の異例で、その顔立ちの説得力がいかに高いかが分かります。
またこの教科書掲載の件に関しては、他にも「中世の彫像みたい」「石膏像よりリアルな阿部寛」など、称賛とも皮肉とも取れるコメントがヨーロッパのSNSでも飛び交い、テルマエ・ロマエの影響力を再認識させる事例となりました。
濃い顔俳優ナンバーワンは誰だ!?現場で繰り広げられた笑撃の論争
出典元:@EliNegima
『テルマエ・ロマエ』公開初日の舞台挨拶では、「誰が一番顔が濃いか」というキャスト間での長年の論争に、ついに終止符が打たれました。阿部寛、市村正親、北村一輝、宍戸開、竹内力といった“濃い顔”キャストがそろい、観客の拍手によって最も濃い俳優を決定するイベントが実施されました。
阿部寛は「みんな黒系の衣装なのに、北村さんだけ白の上下に派手なスカーフ。これはもう“イジってほしい”と言ってるようなもの」とユーモア交じりに会場を盛り上げました。結果的に、北村一輝が最多拍手を獲得し“濃い顔No.1”の称号をゲット。惜しくも2位となった阿部は「いやぁ、悔しいです」と言いながらも満面の笑みを浮かべ、「20年間ソース顔って言われて苦しかったけど、これでスッキリしました」と語り、会場は爆笑に包まれました。
引用元:https://www.cinemacafe.net/article/2012/04/30/12792.html
このやり取りからも分かるように、『テルマエ・ロマエ』は単なる歴史コメディ映画ではなく、出演者同士の化学反応やリアルな人間味も大きな魅力のひとつ。阿部寛の“顔の濃さ”は、物語を超えてひとつのエンタメ要素として人々に深く刻まれたのです。
「顔が濃い」と言われ続けた私にも、テルマエ級エピソードがある
実は筆者も、なかなかの“濃い顔”の持ち主です。大学時代は暇さえあれば海に釣りに出かけていたので、肌は年中こんがり。そんなわけで、球技大会のソフトボールに参加した際、打席に立った瞬間——
「お、ブライアン来た!」
と、研究室の先輩が爆笑。以降、筆者のあだ名は半ば正式に“ブライアン”に定着しました。
まさか日本人として生まれ、和室で納豆ごはんを食べて育った私が、アメリカンな名前で呼ばれる日が来るとは…。阿部寛さんが『テルマエ・ロマエ』でローマ人として世界から愛されたのも、なんだか他人事じゃない気がしています(笑)。
挫折からの再起で見せた“顔と芝居”
20代の頃はモデル出身のイメージから仕事が激減し、「5年間仕事がなかった」時期も。しかし古武術の修行や舞台での経験を通じて芝居に目覚め、徐々に演技派へと進化。
出典元:https://www.news-postseven.com/archives/20220416_1744791.html/3
当時、彼は「MEN’S NON-NO」の表紙を何度も飾るほどの人気モデルでしたが、俳優業では壁にぶつかり続けたといいます。そんな中で出会ったのが、古武術の師匠・東郷秀信氏や演出家・つかこうへいとの出会い。特に、つか氏の舞台『熱海殺人事件』への出演は転機となり、「芝居を“演じる”から“生きる”へと変える大きな経験だった」と本人も後に語っています。
演技に対する姿勢は年々進化し、「同じ役は2度とやらない」「どんな役でも全力で臨む」というストイックさが、数々の名作に繋がっているのです。『結婚できない男』『新参者』『下町ロケット』などでもその存在感を遺憾なく発揮し、視聴者を惹きつけ続けています。
実は私も古武術を始めてから、体の中心に一本軸が通っているような感覚を意識するようになりました。姿勢が整うと、心まで落ち着くんですよね。古武術、ほんとにいいですよ。
阿部さんのように、表面的な華やかさにとらわれず、内面からにじみ出る存在感を磨いていく姿勢には、深く共感します。どんな役にも全力で挑むそのストイックさが、今の圧倒的な存在感につながっているのだと感じました。
阿部寛さんの最近の出演作
阿部寛さんの“顔の濃さ”は、単なる見た目の特徴にとどまらず、作品に深みと説得力を与える武器となりました。『テルマエ・ロマエ』でローマ人にしか見えないと世界中から称賛され、新聞や教科書にまで登場するという前代未聞の快挙は、まさに“濃さの奇跡”。
しかし、それを支えていたのは、モデル時代の栄光に甘んじることなく、古武術や舞台で自らを鍛え直し、演技に真摯に向き合い続けた努力の積み重ねです。
そして何より、どんな役にも全力で挑むその姿勢が、観る者の心を動かし続けているのだと思います。