日本テレビ系ドラマ『ぼくたちん家』(毎週日曜よる10時30分~)で、及川光博さんが21年ぶりとなる連続ドラマ主演を果たしました。
演じるのは、心優しく不器用なゲイ・波多野玄一。中学校教師でクールなゲイ・作田索(手越祐也)に恋をし、やがて奇妙な同居生活を送るという物語です。
作品の根底には、「居場所のない人々が、愛を通して居場所を見つけていく」というテーマが流れています。
社会の片隅で生きる人々の“あたたかくも切ない希望”を描くこのドラマに、なぜ今、及川光博が挑むのか。
そして彼の根底にある「表現者としての哲学」は、20年以上前に出会った美輪明宏からの言葉にありました。
ミッチーが“ミッチーを脱ぐ”瞬間
出典元:https://www.tiktok.com/@bokutachinchi/video/7539965342676765960
「『ミッチー』という透明の着ぐるみを、現場に入る時に脱ぎます。」
──取材の場で及川さんは、そう穏やかに語りました。
ステージで見せる完璧な王子様スマイルと、ウィットに富んだトーク。どんな場でも観客を魅了するその姿は、“エンターテイナー・及川光博”の代名詞です。
しかし今作『ぼくたちん家』では、そうした煌めきをあえて封印しました。
「美輪明宏さん仕込みの優雅な所作」もやめ、ルーズなパンツを腰ではく。
「本番前に、全力で力を抜く」ことを意識して、自然体の中年男性を演じています。
それはまさに、“演じない演技”への挑戦。
デビュー25周年を越えた今、ミッチーは「美しさ」よりも「生きることのリアル」に向き合おうとしています。
初めてのゲイ役に込めた思い
出典元:https://mdpr.jp/drama/detail/4658156
玄一は、情に厚く、少し不器用な中年のゲイ。
恋にも人生にも冷めきった作田索に出会い、真っすぐに恋をします。
その一生懸命さがどこか滑稽に見えてしまうのは、彼が“必死に愛を信じている”から。
及川さんはこの役を通じて、「愛らしさとは、不器用さの中に宿る」と語ります。
「頭の中ではもんもんと考えているのに、いざ言葉にしたら下手くそ。
でも、その不器用さが愛しいんです。」
社会の偏見や孤独を描きながらも、作品は決して重くありません。
どんなに傷ついても笑える。
そして、「自分の居場所は自分で見つけていい」と伝える──。
そのやさしさこそ、今のミッチーが表現したい世界なのです。
王子様の誕生と、セルフプロデュースの覚悟
1999年 出典元:https://grapee.jp/1086349
及川光博さんがデビューしたのは1996年。
当時26歳で、シングル『モラリティー』でアーティストとして華々しく登場しました。
当時の彼は無名でありながら、自らを“王子様”としてセルフプロデュースすることで、強烈な印象を残しました。
「“王子様”というコンセプトが当たった。当時は無名の新人ですから、デビュ-戦を勝ち抜くためにはインパクトが必要でした」
(引用元:読売新聞/大手小町)
しかし、“王子様”というキャラクターが人気を得る一方で、そのイメージが彼自身を縛るものにもなっていきます。
テレビ番組ではいじられたり、笑いの対象になったりすることもありました。
そのたびに、「ミッチー」という存在が独り歩きしていくような感覚に、心が揺れたといいます。
「王子様をやめてから、イメージの独り歩きに苦しんでいたんです。バラエティ番組に出ても、イジられたり、物笑いの種になっていました」
(引用元:読売新聞/大手小町)
華やかな“ミッチー”の裏で、実は深い孤独と葛藤があったのです。
美輪明宏との出会いが変えた“表現者としての生き方”
毛皮のマリー 出典元:https://stage.parco.jp/web/play/marie/index.html
2001年、32歳のとき。及川光博さんは、美輪明宏さん主演の舞台に出演しました。
その出会いが、彼の人生を大きく変えます。
「ミッチーちゃん、人間、誤解されて当たり前よ。」
——美輪明宏(2001年 舞台共演時の言葉)
(出典:読売新聞 文化部インタビュー/2021年)
この言葉が、当時「王子様キャラクター」への誤解に悩んでいた及川さんの心を軽くしたといいます。
「王子様をやめてから、イメージの独り歩きに苦しんでいました。
でも美輪さんの“誤解されて当たり前”という言葉で救われた。
要は、『勉強して実力を見せつけていけばいいのよ』ということなんです。」
彼にとって美輪明宏は、表現者としての師匠であり、人生の師匠。
空間を支配する技術、想念をコントロールする大切さ、そして「表現は祈りである」という思想を、美輪さんから学びました。
それが今、玄一という人物の“静かな熱”にもつながっています。
「出演料をいただいていたけど、レッスン料を払うべきじゃないかと思うくらい学ぶことがあった。」
(出典:女性自身 2015年3月6日号)
“誤解されて当たり前”──25年を超えて変わらない哲学
2021年、デビュー25周年を迎えた及川光博さん。
デビュー曲「モラリティー」で“セルフプロデュース王子”として世に出た彼は、長年そのイメージと共に歩み続けてきました。
しかしその裏では、バラエティ番組などで「笑われる存在」として見られることに苦しんだ時期もあったといいます。
「イメージの独り歩きに苦しんでいましたが、美輪さんが引っ張り上げてくれた。
誤解されて当たり前。要は『しっかり勉強して力を見せつけていきましょう』ということ。そういう方です。」
引用元:デイリースポーツオンライン 2021年5月12日配信
この言葉を胸に、彼は音楽・俳優・バラエティと表現の幅を広げながら、自分の信じる美学を貫いてきました。
それは“他人にどう思われても、自分の中の誠実さを守る”という姿勢。
美輪明宏が語る「真実の芸術家とは、愛を持つ人間である」という思想が、及川光博の中にも深く息づいています。
師と母 ― 及川光博にとっての「最強の存在」
あるインタビューで、「あなたにとって最強の存在は?」と問われた及川さんは、
「お母さんと、美輪明宏さん」と答えています。
引用元:日刊スポーツ
母からは「生きる力」を、美輪からは「表現する力」を学んだと語ります。
どちらも彼を支える大切な存在であり、
その両方があってこそ、今の及川光博という人間が存在しているのだと思います。
プロフィール
及川光博(おいかわ・みつひろ)
出典元:https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A024939.html
1969年10月24日、東京都出身。
1996年、シングル「モラリティー」でアーティストデビュー。
セルフプロデュースによる“王子様キャラクター”で一躍注目を集め、以降、音楽・俳優・タレントとして幅広く活動。
代表作はドラマ『相棒』(神戸尊役)、『半沢直樹』、映画『CASSHERN』など。
俳優としての評価を高めつつも、常に“舞台型エンターテイナー”として独自の存在感を放つ。
50代を迎えた今も、「美しく、真っすぐに、愛を込めて」を信条に、表現者として進化を続けている。
美輪明宏(みわ・あきひろ)
出典元:https://o-miwa.co.jp/
1935年生まれ、長崎県出身。
歌手・俳優・演出家・作家。日本の戦後芸能史を代表する存在であり、独自の世界観と哲学で多くの芸能人・文化人に影響を与える。
及川光博をはじめ、俳優・ミュージシャンたちが“師”と仰ぐ人物でもある。
座右の銘は「生きることは愛すること」。
“居場所を見つける”という、永遠のテーマ
『ぼくたちん家』に描かれるのは、居場所のない人々が“それでも笑って生きていく”物語です。
それは、及川光博がこの25年間ずっと表現し続けてきたテーマでもあります。
誤解されても、笑われても、愛を信じる。
その姿は、ドラマの中の玄一そのもの。
そして彼の人生そのものでもあります。
「みんなちがって、みんないい」
引用元:及川光博 コメント/WEBザテレビジョン 2024年10月13日配信
この言葉を冗談めかして口にする姿の裏に、長い年月をかけて培われた真実があります。
それは、“他人の目ではなく、自分の心の声に誠実であること”。
美輪明宏の教えを胸に、ミッチーは今日も、誰かの居場所を照らし続けています。
まとめ
『ぼくたちん家』で演じる玄一は、不器用で優しい、まさに“人間らしさ”の象徴です。
それは、25年間にわたり「誤解されても表現を続ける」ことで磨かれた、及川光博さんそのものだと思います。
彼は今、派手なステージの光を少し落とし、静かな場所で、心の奥の光を灯しています。
美輪明宏さんから受け取った「誤解されて当たり前」という言葉は、
今も彼の中で、確かな道しるべとして生き続けているのです。
「人生の半分をプロフェッショナルとしてやってきました。
ご指導くださった関係各位、そして愛してくれたファンの皆様に感謝です」
引用元:billboard-japan.com
誤解を恐れず、自分を信じて生きる。
その姿勢こそが、“ミッチー”から“玄一”へと変わる及川光博さんの、今を輝かせているのだと思います。