日本の90年代を代表する女性ロックシンガー、相川七瀬さん。彼女が今、遠く離れた南米・ブラジルで思いがけない注目を集めています。その理由は「夢見る少女じゃいられない」と「マツリダンス」、そして「日本ブラジル友好交流親善大使」への就任。この意外な組み合わせの背景には、音楽が国境を越えて心をつなぐ力がありました。
相川七瀬(あいかわ ななせ)プロフィール
出典元:https://avexnet.jp/column/1004017
本名:佐伯 美咲(さえき みさ)
生年月日:1975年2月16日(50歳)
出身地:大阪府大阪市東淀川区
血液型:AB型
職業:歌手・作詞家・占い師・文化研究者
レーベル:avex trax(旧motorod)、現在はインディーズ活動も含む
事務所:フォーライフミュージックエンタテイメントなどを経て現在は個人活動中心
主な経歴と活動内容
🎤音楽キャリア
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1995年、「夢見る少女じゃいられない」(作詞:相川七瀬、作曲:織田哲郎)でデビュー。約80万枚を売り上げる大ヒット。
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その後も「Sweet Emotion」「BREAK OUT!」「恋心」などヒット曲を連発し、ロックをベースにした力強いボーカルスタイルで女性ファンを中心に支持を集める。
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CD総売上は1000万枚以上(シングル・アルバム合計)。
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2025年にはデビュー30周年を迎え、記念ライブツアーも計画中。
🎓学び直しと文化研究
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2020年、45歳で國學院大學 神道文化学部に入学。神道・祭祀文化の研究を本格的に開始。
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現在は大学院博士課程に進み、地方の伝統神事の継承・保存をテーマに研究中。
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日本の祭り文化の持続可能性を考える団体「Culture Plus(一般社団法人)」を設立し、地域活性化活動にも取り組む。
🌎国際活動
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2025年、「日本ブラジル友好交流親善大使」に就任。自身の楽曲「夢見る少女じゃいられない」が、ブラジルのマツリダンス文化と深く結びついていることから選出。
相川七瀬って今どうしてるの?なぜ親善大使に?
90年代に「夢見る少女じゃいられない」で鮮烈なデビューを果たし、一躍スターとなった相川七瀬さん。現在は音楽活動を続けながら、学問の世界にも新たなステージを広げています。
彼女は2020年、45歳で國學院大學 神道文化学部に入学。実はその10年以上前から「子どもたちが手を離れたら、学び直したい」と計画していたのだそうです。
「お祭りには、その土地独自の文化が内包されている。それを守るには専門的な学びが必要だと感じ、國學院大學しかないと思いました」
相川さんは現在、大学院の博士課程で神道・祭祀の研究を行いながら、地方の伝統神事を未来へつなぐ活動を支援するNPO「Culture Plus」も設立。地域の文化継承や町おこしに貢献することを目指しています。
「大学では、授業は必ず一番前、いわば“アリーナ席”で受けています(笑)。40代での学び直しは、すべてが本気だから、無駄な授業なんてひとつもないんです」
こうした真摯な姿勢や、文化と祭りに対する深い理解が、今回の「日本ブラジル友好交流親善大使」への抜擢につながったのです。
2025年5月26日には、外務省で岩屋毅外相より委嘱状を授与され、相川さん自身もこう語っています。
「これを機に、祭りというキーワードで国と国がさらに仲良くなり、発展していくお手伝いができればいいなと思っています」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/83f9f76a5e09f0c646b1e1b6b3bc8e9e674e88d6
【外務省で委嘱状を授与された相川七瀬さんの写真】
出典元:https://sp.m.jiji.com/article/show/3525630
なぜ相川七瀬がブラジルで人気なの?
実は、相川七瀬さんのデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」は、ブラジルの日系社会で20年以上にわたり親しまれてきました。特に、日本とブラジルの文化が融合するお祭りの場では、この曲が“定番ソング”のような存在になっているのです。
ブラジルには270万人以上の日系人が暮らしており、日本文化は今でも強い影響力を持っています。その中で、日本のJ-POPが取り入れられ、世代を超えて楽しまれている背景があります。
「夢見る少女じゃいられない」が日系社会に浸透した理由とは
この曲がブラジルの日系社会に広く受け入れられた理由の一つが、「マツリダンス」と呼ばれる創作盆踊りにあります。
1990年代に日本で大ヒットしたこの楽曲は、ブラジルの若い世代が従来の伝統的な盆踊りに飽き足らず、J-POPとストリートダンスを融合した新しい祭りのスタイルとして「マツリダンス」に取り入れられるようになりました。
「最初は『島唄』や『バイバイ。』、そして『夢見る少女じゃいられない』が使われたと聞いてとても感動しました」
——相川七瀬さん(現地訪問時のインタビューより)
この曲は単なる「懐かしのヒット」ではなく、世代を超えて踊り継がれる“文化の一部”となっているのです。
【ロンドリーナ祭りでのマツリダンス風景】
出典元:https://discovernikkei.org/ja/journal/2008/1/10/brazil-nihonjinmachi/
ブラジルでの相川七瀬の人気はどのくらい?
ロンドリーナ祭りでは、毎年1万人以上が「夢見る少女じゃいられない」に合わせて一斉に踊ります。2023年には一晩で1万2000人が踊り、まさに“南米で最も熱いJ-POP盆踊り”とも言われています。
現地で行われた相川七瀬さんのサイン会やイベントには長蛇の列ができ、SNSでも「青春時代のアイドルが来た!」といったコメントが相次ぎました。
【サンパウロのジャパンハウスでのイベント風景、相川さんと現地の子どもたちの写真】
出典元:https://www.brasilnippou.com/2024/241015-21colonia.html
マツリダンスがつないだ文化交流の架け橋
マツリダンスは、J-POPやヒップホップの要素を取り入れたブラジル独自の創作盆踊りです。創始者であるグルーポ・サンセイは、「自分たちの日本文化」を築くべく2003年にロンドリーナで最初の祭りを開催。
「日本人というアイデンティティはあるけれど、一世とは違う主張をしたかった」
——ミリアン・ミチコ城間さん(グルーポ・サンセイ創始者)
引用元:https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2023/12/-12000.phpから一部抜粋
ロンドリーナ祭りの成功を皮切りに、現在では北のアマゾナス州マナウスまで、各地の祭りでマツリダンスが披露され、日本文化の“再発明”として注目されています。
「日本では見られなくなった“手作りのおもてなし文化”がここには残っている。郷土愛のようなものがこみ上げて、また戻ってきたいと思った」
——相川七瀬さん
引用元:https://www.brasilnippou.com/2024/241015-21colonia.htmlから一部抜粋
【マナウス「ジャングル祭り」での盆踊り風景/学生とやぐらの様子】
出典元:https://discovernikkei.org/ja/journal/2015/11/11/eventos-tradicionais-japoneses/
お祭りを通して、音楽と伝統が融合し、人々の心をつなげていく様子はまさに感動的です。こうした文化交流がこれからも続いていくことを願いたいですね!
まとめ
相川七瀬さんのデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」は、ブラジルの日系社会で長年親しまれ、祭りの定番ソングとして定着しました。特に「マツリダンス」という創作盆踊りの文化と融合し、世代を超えて踊り継がれています。
2025年には「日本ブラジル友好交流親善大使」に就任し、音楽と祭りを通じた文化交流の架け橋としての役割を担うことになりました。彼女の大学での学び直しの姿勢や、日本文化の継承への思いが、ブラジルとの深い結びつきを生み出したのです。
ロンドリーナ祭りをはじめ、ブラジル各地で広がるマツリダンスは、日本文化の「再発明」として注目され、伝統と現代の融合を象徴する存在となっています。相川さんの活動を通じて、音楽が国境を越え、人々の心をつなぐ力を改めて実感しますね。
これを機に、あなたも「夢見る少女じゃいられない」を聴きながら、日本とブラジルの文化交流に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?